ドイツの風 │ Ando Mahito

インダストリー4.0

皆さんは デジタルトランスフォーメーション(DX)をどの様に受け止められますか?

ドイツ機械工業界では一時、徳川幕府末期の黒船出現のように受け止められました。デジタルトランスフォーメーションはドイツ機械工業会にとって当初黒船だったのです。「ソフトウエア業界の都合でデジタルトランスフォーメーションが進行すると、機械工業会は骨抜きにされる」と機械工業会は大きな危機感を持ちました。インダストリー4.0 はただのデジタルトランスフォーメーションではなく、ドイツの国情に最適化されたDX化の戦略です。本投稿では、歴史的危機をチャンスに変換しようとするドイツ産業界の挑戦についてお話しします。皆さんのDX化戦略の参考になれば幸いです。

インダストリー4.0誕生の逸話

ERPソフトウエアの巨人SAP 社は、自社製品のアドミン領域から製造部門への事業展開を何回か試みましたが、全て失敗に終わりました。当時のSAP社社長ヘニング・カーゲマン氏はドイツ政府に働きかけ、デジタルトランスフォーメーションの重要性を説きました。ドイツ政府は約28億円の研究開発費(2千万ユーロ)の支援を約束し、カーゲマン氏とジーグフリード・ダイス氏(当時ボッシュ副社長)を座長にインダストリー4.0ワーキンググループを発足させました。並行して、様々なインタレストグループがワーキンググループを立ち上げ、インダストリー4.0は様々な業界のコンセプトをドイツの統一規格へまとめ、尚且つ各業界に創造性の自由度を提供する試みですすめられました。

ドイツでは、デジタル化を促進することがインダストリー4.0であると言う受け止め方はされていません。インダストリー4.0と言う名前は巧妙なマーケティングの産物でもありません。インダストリー4.0と言う名前は、サイバー・フィジカル・システム(CPS) の到来により、ドイツ国民の仕事の仕方だけではなく、生活の仕方も変わると言う意味を含んでいます。そして、新しい秩序はドイツの風土、国民性、文化、産業構造などとマッチして、ドイツをデジタル化された新しい環境へ導く使命を持っています。

インダストリー4.0

機械工業界の危機感

本投稿では、機械工業界のスタンスにスポットライトを当てます。ドイツ機械工業界はデジタルトランスフォーメーションを当初歴史的な危機であると捉えました。ドイツの機械工業界は伝統的に豊かなアプリケーションノウハウを製品に組み込むことで差別化を図り、世界中の工場へ製品を納め成功しています。

CPSの到来は彼等にとって大きな脅威であると当初考えられました。巨大な米国のソフトウエア産業がサイバースペースを牛耳ると、生産現場の情報をソフトウエア産業がコントロールすることになると言うシナリオが浮上したのです。アプリケーション情報が機械メーカーに届かないCPS環境が実現すると、機械メーカーにはパソコンメーカーのような運命が待ち受けていると考えられました。パソコンメーカーは付加価値の高いCPUとOSをインテル、マイクロソフトから買い求め、事実上付加価値の低く、差別化の自由度が極めて低い「箱」を製造する低利益率のビジネスモデルに甘んじています。ドイツの機械メーカーがアプリケーション情報へのアクセスを閉ざされると大変なことになるとドイツ機械産業の将来を危惧する声が立ち上がりました。ユーザーのアプリケーション情報へのアクセスが遮られ、ユーザーの生産性の向上がソフトウエアメーカーの手に委ねられると、機械メーカーの差別化を創造する能力が著しく衰退します。このシナリオでは機械産業の将来像は不利なコスト競争を低賃金国の競合メーカーから強いられ、社員の生活水準を守ることが難しくなります。

インダストリー4.0

「パソコン業界と同じような運命を何としても防がなければいけない!」がドイツ産業界のインダストリー4.0イニシアティブの原動力です。

ドイツ機械工業界の事情

ドイツ機械工業界では2つの課題が定義されました。

  1. 機械メーカーが差別化できる環境をインダストリー4.0で可能にする
  2. 機械メーカー、ユーザーのCPS管理費を低減し、中小企業のCPS導入を容易にする

前者はCPSの構築を全てソフトウエア業界に依存しないことを意味します。ソフトウエア業界の都合でCPSが構築されれば、機械メーカーが付加価値を生むスペースが限られてしまいます。ソフトウエアは多層化されており、それらを大きく分けるとオペレーションシステム (OS)、ミドルウエア、アプリケーションと区分けされます。機械工業界はアプリケーション層の中に自分達が管理し、機械メーカーにしか実現できない付加価値をユーザーへ提供できる領域の構築を企画しました。もちろん、この領域はソフトウエア業界と競合し、機械メーカーはユーザーの支持を得るに値する付加価値を提供しなければなりません。この高い要求を満たすことが出来る機械メーカーは持続性のある差別化を可能にします。機械工業界は一般化されたコンセプトを構築して、工業界のメンバー企業が全て比較的妥当な投資で持続性のある差別化を実現できる環境の構築に乗り出しました。

後者について、現在ドイツの機械メーカーの多くがニッチ市場に特化して差別化を実現しています。それ故、中小企業が多いのがドイツの特徴です。ドイツの中小企業は、ビジネスモデルにおいても社会的地位においても日本の中小企業と若干異なる体質を持っています。例えば、有名大学の工学部の学生の間でも、大企業へ歩む道を選ぶか、中小企業でCTOになる道を選ぶか熱い議論されるほど、ドイツの中小企業は魅力的な雇用環境を提供しています。ですが、資本力に頼ったビジネス展開が出来ないことは事実です。ドイツ中小企業については別の投稿でご紹介いたします。

現在、ドイツではソフトウエアエンジニア(SE)が極度に不足しています。中小企業にとってはSEの雇用難と同時に、CPSの構築・管理費の負担が重くのしかかります。そこで、CPSの構築が容易であり、社内にエキスパートの存在が必要のないシステムの構築が課題となります。その答えは、クラウド上にプラットフォームを構築し、ユーザーへアプリケーションサービスを提供できる環境の構想にあります。

製造業のチャンス

ここで最も妥当な質問が、ソフトウエア業界の巨人が構築するクラウドサービスにドイツで構築されたクラウドサービスが立ち向かえるのかと言う率直な疑問です。もちろん普通の少年ダヴィデは力では巨人戦士ゴリアに勝てません。ダヴィデは、石投げ紐 を使い「技」でゴリアを倒したのです。当然、ドイツはスケールではアメリカのクラウドサービスに勝てませんが、製造業というニッチ市場では十分勝算があるのです。

その理由は製造業の複雑性にあります。複雑性を克服する為には、プラットフォームに製造業の複雑性に対応したアーキテクチャーが必要です。最初にしっかりとしたアーキテクチャーを構築しないと、後から対応することは不可能に近いと言われます。そして、ドイツには製造業のニーズを体系化する為に必要なノウハウの貯蓄がありますが、製造業が衰退したアメリカではそれが望めません。そこに「ダヴィデの石投げ紐」があるとドイツでは考えられています。そして、CPSが実現する空間でどのような付加価値が実現するかがこれからの課題です。
 
確か1984年だったと思いますが、パソコンの父と呼ばれるアラン・ケイがサイエンティフィック・アメリカにパソコンの将来についてエッセイを書いていました。そこでケイは「パソコンは表計算ソフトの出現により企業へ定着した。そして新たな画期的ソフトウエアの出現により新たな展開をするであろう」と予告していました。
インダストリー4.0

ドイツでは製造業に対応したCPSプラットフォームを構築し、キラーアプリケーションが育つ苗床を作ろうとしています。そして、CPS上でソフトウエアサービスと言う形の新しい付加価値を提供することで 、ドイツ機械工業界は国際競争力を更に高めることを志しています。具体的な例を挙げますと、例えば過去にユーザーが経験と勘に頼って機械の使い方を試行錯誤の繰り返しにより工夫していました。メーカーがユーザーの使い方をカストマイズ出来るアプリケーションを提供し、ユーザーが買い求めることにより、メーカーが検証した実績のある使い方を取得できます。CPS上で情報アクセスが可能になると、さまざまなサービスが今後考案されると予想されます。

まとめ

インダストリー4.0とはただのデジタルトランスフォーメーションでは無いことをご理解いただけたでしょうか?相撲では強い力士は相手力士に得意の相撲を取らせないそうです。自分の土俵で自分の相撲を取ることが出来る環境を作ることが、インダストリー4.0の基本構想です。

日本の産業界にとって、どの様なデジタル化のポリシーが必要なのか考える必要があるのでは無いでしょうか?ドイツでは企業単位で対応できないと読んで、インダストリー4.0という共通モデルを提供しようと試みています。これからドイツの動向について、引き続き投稿をしてまいります。

インダストリー4.0
Ando Mahito

中学時代にドイツに渡航。カールスルーエ工科大学にて、機械工学を専攻の後、PhDを取得。卒業後は、シーメンス社やボッシュグループにて、プロジェクトマネジメントおよび経営企画、社内コンサルティングに携わる。

現在では、株式会社レクサー・リサーチ、フラウンホーファー財団IPA研究所と共同開発契約を結び、シミュレーション系最大手エンジニアリング会社と協力関係構築​から生産シミュレータGD.findi のドイツ市場開拓に従事。

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